2018年11月20日火曜日

ブログ13:カルチャショック


 今度、私のキャルチャショクの経験について話したいと思う。16歳頃に始めて日本に行ったけど、その時、キャルチャショクは別に感じられなかったのだ。なぜかというと、第一の理由は留学する前のオリエンテーションだ。この留学の前に、私は北米の外で全然旅行に行かなかったのに、そのオリエンテーションで色々な文化的や日本の習慣など事について習って、良く準備できた。一週間で挨拶を練習して、学校の生活について学んだ。それから、オリエンテーションでもう留学した学生はアドバイザーとして働いていたので、普通な問題や最悪事態に関して質問を聞けた。言うまでもなく、留学のオリエンテーションを生かして、私は困らないままで日本の経験を楽しめた。私の場合は、オリエンテーションなしで日本に行くのは考えられない。
 そう言っても、他の国でキャルチャショクの経験がある。例えば、アメリカでそのような経験があります。いったいどうやって自分の国でキャルチャショクを感じられたの?私はみんなさんに教えてあげる。
 30年ぐらい前、私の母はポランド系アメリカ人と結婚してから、自分の家族はとても嫌になった。というのは、みんなの外戚はオランダ人とオランダ系アメリカ人で、文化の外で結婚するのはだめだった。もちろん、私はこの考え方を分かっている。多文化の家族で子供の教育について問題は色々あって、一つは母語の問題だ。私の母の母語はオランダの「ウエストフリシエン」という方言なので、学校に入学する前にこの方言とオランダ語だけ使って、英語を全然知らなかった。そういう理由があるので、始めに学校が嫌いで、ちょっと苦しんでしまった。母はその経験があったので、私は英語だが習った。私の父は英語だけ話せるので、私はあまりウエストフリシエンやオランダ語を聞かないで育った。今日、私は外戚の母語を話せなくて、ちょっと残念だっと思う。
 この家族で、私の世代はとてもアメリカ人らしくて、祖父母の考え方をほとんど持っていません。そう言っても、先週末の結婚式でこん文化の強さを気づきた。本当のキャルチャショクだった。
 この結婚式で、私のいとこは他のオランダ系アメリカ人の彼女と結婚した。彼も彼女も私より若くても、オランダ語を自然と話した。それから、その二人の友達はカンパイする時に、オランダの歌を歌ってきて、全員のゲストは分かっていて、歌てった。私はその歌を全然知らなかった!しかも、ケーキの味はスペクロスで、お土産はストロプワフルだった。どちらのはオランダの一番有名なクッキーだ。おばさんによると、私のいとこと彼女は一緒に伝統的な作り方で作って、手作りだった。最後に、踊る時に音楽はカントリーからオランダのEDMに変わってから、若者がすごく売れ苦になって、夜中まで踊りた。私はとってもびっくりしたけど、やっと楽しめた。将来、私は自分の家族の文化についてもっと習いたいと思う。




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