2018年11月30日金曜日

Blog#14) フード ジャーナリズム



私は今学期フード・ジャーナリズムという授業を取っています。まい授業に先生が直接作った食べ物を持ってきたり教室で簡単な料理をしたりします。実は、もっと重要なのは、食事に関する色んな問題や、健在のロサンゼルスのことなどを学ぶとても面白い授業です。

この授業には試験の代わりにファイナルプロジェックトがあります。レストランんのレビューを描いてもいいし、子供の時の、他には家族の大切な食べ物について書いたりビデオを作ったりしてもいいです。

私は四日間外で食べなずに家で料理をする自分のことをビデオで作るつもりなんです。私は大学に入ってから、ウーバーイッツという物を発見、今までずっとずっとお世話になっています。材料を買ってうちで料理をしてもいつも材料が残ったり、後は悪くなったりするのでもったいないと思って、どんどん料理をしないようになりました。

四日間私はCoffee Beanなどで飲み物も買わないし、インスタントラーメンも食べないつもりです。出来るだけ加工された食べ物は使わないようにします。でも、多分一番の問題は撮影する部分です。カメラはもちろん持っているんですが、私のキッチンは汚くて、そんなに明るくないので、ちょっと心配です。

2018年11月29日木曜日

ブログ14:日本の思い出

日本の留学が終わってから3ヶ月ぐらい経ったなんて、信じられない。日本にいたときに様々な思いでがあるんですが、これから私の一番印象に残った思い出について話したいと思う。上智大学の前学期が1月に終わり、2月から4月まで春休みだった。ほとんどの留学生の友達はそのときにアメリカに帰ってきたんですが、せっかく日本に来たから日本に残したいと思っていた。もうアメリカに帰る飛行機のチケットは持っていたので、1週間ぐらいロサンゼルスに帰ってきた。でも、そのあと日本に戻り、とっても楽しい春休みを過ごした。その春休みは絶対忘れられないと思う。
なぜその経験を忘れられないかというと、実際に自立になったと思うからである。その春休みに、留学のプログラムは宿所を提供されてなかったので、1か月半ぐらい一人で寮のようなエアビーアンドビーに住んでいた。歩いて原宿、代々木、千駄ヶ谷駅から9分かかり、とても便利な場所に住んでいた。授業、宿題、仕事もなかったので、毎日自分がやりたいことをしていた。ミットアップというサイトで知らない人と遊ぶやハイキングする、ジムに行く、日本人の友達とカラオケオールをする、という風にその春休みを過ごしていた。やっぱり、日本人の友達といつも遊んでいたので、日本語も上達した。単純に、「日本にいるから毎日を楽しもう!」ということを認識した。

ブログポスト14: 工芸の思い出

今日のポストで、私は伝統的工芸について書きたいと思いました。今週の発表で話していた通り、私と母の家族の関係はちょっと困っていた。私は家族の母語を分からなくて、文化もあまり知らなかったので、小さい私は祖父母が外国人みたいと思っていた。しかし、話せずに気持ちを伝えて、時々思い出を作れました。例えば、ある日、私のおばあちゃんは私に毛糸で毛布の作り方を教えてくれました。実は、私が生まれてから、おばあちゃんは帽子やセーターなどの物を作って、私にくれました。おばあちゃんの観点によると、おじいちゃんが私の父が大嫌いなので、愛する気持ちを表すことが難しそうでした。多分その伝統的物をくれると、私や母な愛したいという気持ちを表していたかもしれません。という理由で、おばあちゃんは私にその芸術を教えていると、私はすごく嬉しくなりました。母が翻訳者として手伝いながら、私は初めて編み物作りました。私は覚えている限り、人形のスカーフでした。
最近私のおばあちゃんの健康はだんだん悪くなってきて、話すことと思い出すことも大変難しくなりました。それで、私はおばあちゃんが作った芸術的な物を特に大切して、前に習った技術を良く練習したいんです。忘れたくないんです。私の将来の子供に方言やオランダの文化をあまり伝えられないけど、この工芸技術を教えてあげると、私のおばあちゃんを重んじることができると思います。

2018年11月20日火曜日

ブログ13:カルチャショック


 今度、私のキャルチャショクの経験について話したいと思う。16歳頃に始めて日本に行ったけど、その時、キャルチャショクは別に感じられなかったのだ。なぜかというと、第一の理由は留学する前のオリエンテーションだ。この留学の前に、私は北米の外で全然旅行に行かなかったのに、そのオリエンテーションで色々な文化的や日本の習慣など事について習って、良く準備できた。一週間で挨拶を練習して、学校の生活について学んだ。それから、オリエンテーションでもう留学した学生はアドバイザーとして働いていたので、普通な問題や最悪事態に関して質問を聞けた。言うまでもなく、留学のオリエンテーションを生かして、私は困らないままで日本の経験を楽しめた。私の場合は、オリエンテーションなしで日本に行くのは考えられない。
 そう言っても、他の国でキャルチャショクの経験がある。例えば、アメリカでそのような経験があります。いったいどうやって自分の国でキャルチャショクを感じられたの?私はみんなさんに教えてあげる。
 30年ぐらい前、私の母はポランド系アメリカ人と結婚してから、自分の家族はとても嫌になった。というのは、みんなの外戚はオランダ人とオランダ系アメリカ人で、文化の外で結婚するのはだめだった。もちろん、私はこの考え方を分かっている。多文化の家族で子供の教育について問題は色々あって、一つは母語の問題だ。私の母の母語はオランダの「ウエストフリシエン」という方言なので、学校に入学する前にこの方言とオランダ語だけ使って、英語を全然知らなかった。そういう理由があるので、始めに学校が嫌いで、ちょっと苦しんでしまった。母はその経験があったので、私は英語だが習った。私の父は英語だけ話せるので、私はあまりウエストフリシエンやオランダ語を聞かないで育った。今日、私は外戚の母語を話せなくて、ちょっと残念だっと思う。
 この家族で、私の世代はとてもアメリカ人らしくて、祖父母の考え方をほとんど持っていません。そう言っても、先週末の結婚式でこん文化の強さを気づきた。本当のキャルチャショクだった。
 この結婚式で、私のいとこは他のオランダ系アメリカ人の彼女と結婚した。彼も彼女も私より若くても、オランダ語を自然と話した。それから、その二人の友達はカンパイする時に、オランダの歌を歌ってきて、全員のゲストは分かっていて、歌てった。私はその歌を全然知らなかった!しかも、ケーキの味はスペクロスで、お土産はストロプワフルだった。どちらのはオランダの一番有名なクッキーだ。おばさんによると、私のいとこと彼女は一緒に伝統的な作り方で作って、手作りだった。最後に、踊る時に音楽はカントリーからオランダのEDMに変わってから、若者がすごく売れ苦になって、夜中まで踊りた。私はとってもびっくりしたけど、やっと楽しめた。将来、私は自分の家族の文化についてもっと習いたいと思う。




ブログ13:カルチャーショック

本当のことを言うと僕は今まであまりカルチャーショックを実現したことはありません。多分今までカルチャーショックに一番近かったのは子供の時に日本に行った時です。小さかった時に一度夏の間に日本に行って、夏の間だけ日本の小学校に行きました。その時にカルチャーショックだったことは昼ご飯でした。日本の小学校では生徒の中から何人か代表を選んで、その生徒たちが食事を他の生徒たちにくばるのです。僕は短期間しかその小学校にいなかったので、給食の担当を任されました。僕はそれまでそう言うことをしたことがなかったので、少しびっくりしました。でもこれもすぐなれて、最後の頃は楽しかったです。